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(密集して咲くシラン) 
 かなり昔の小学生時代の話だ。私の通う小学校近くに「鐘馗様」(しょうきさま)というあだ名を付けられた農家の人がいた。その顔は、中国の道教系の魔よけの神で日本の端午の節句の幟(のぼり)や五月人形になった魁偉な容貌である鐘馗のように怖かった。それだけなら問題はないが、この「鐘馗様」は子どもが嫌いなのか、ひどい嫌がらせをすることでも知られていた。江戸時代の長屋に住む庶民や「おわいや」(汚穢屋=便所の汲み取りを業とする人のこと)の若者を描いた映画『せかいのおきく』(阪本順治監督)を見て、あの「鐘馗様」を思い出してしまった。
 

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映画は、安政の大獄から桜田門の変という歴史に残る事件が相次いだ安政末から文久に至る約4年間の江戸末期が舞台。藩の不正を告発したため浪人となり長屋暮らしをする松村源兵衛(佐藤浩市)と娘おきく(黒木華)、人々の出した糞尿を代金を払って汲み出し農家に売る「おわいや」の若者、矢亮(池松壮亮)と中次(寛一郎。佐藤浩市の息子)を中心に、当時の人情味にあふれる長屋など庶民の暮らしぶりが描かれている。中次は紙屑拾いをしていたが、矢亮に誘われ下肥買いの「おわいや」を一緒にやる。おきくの長屋や武家屋敷の汲み出しも2人の仕事だ。おきくは、近所の寺で子どもたちの手習いのお師匠さん(先生)をしていて、中次に惹かれている。

汲み取りをめぐって糞尿まみれになる2人の若者の姿は滑稽だが、この仕事は今で言う「循環型社会」の一翼を担っていた。人間から出た汚物は農家に引き取られ、農作物を育てる肥料に使われる。これは高度経済成長とともに下水道が整備され、さらに水洗式トイレが普及するまで戦後もかなりの期間続いていた。一方、おきくの父は藩からやってきたと思われる刺客によって殺害される。現場に駆け付けたおきくものどを刺されて重体となり、一命をとりとめたものの声を失ってしまう。失意のおきくを長屋の人々や寺の住職(眞木蔵人)、中次らが励まし、おきくはやがて寺子屋に戻って、手話に似た仕草で子どもたちに文字を教える。子どもたちに混じって中次の姿もある。

映画のタイトルにはどんな意味があるのか、ここでは書かない。この映画はモノクロが特徴で序と結、7章のエピソードをつなぎ合わせており、その終わりの短時間だけカラーとなっている。糞尿(本物かどうかは分からない)がしばしば映し出されるだけにモノクロでよかったし、見ていて嫌悪感もない。それにしても、市井に生きる人たちはたくましい。侍屋敷の仲間(ちゅげん)から馬鹿にされても若者はひるまず、おきくは声を失っても立ち直る。おきくを演じた黒木がこの映画でも好演をしている。映画を見終えて、私は格差社会に生きる現代人への応援歌のようだと感じた。

さて「鐘馗様」のことである。当時50歳前後ぐらいの人だったと思う。彼は小学校の運動会、入学式、卒業式といった大事な行事がある朝に限って、小学校の校庭側と正門側の両方近くにある畑に下肥をまくのだ。その臭気は小学校周辺を覆い、容易に消えない。「ああ、また鐘馗様の嫌がらせが始まった」と、みんなが眉をひそめる。校長先生や町内会の役員が申し入れてもやめることはなかった。行事の度に糞尿をまくには何か動機があったはずだが、それは分からない。子どもたちが畑の作物にイタズラをしたとか、戦争で自分の子どもを亡くし、元気な声を聞くと腹が立つとか、いろいろな噂があった。しかし、真相は知らない。

「鐘馗様」は実際には魔よけ、疫病よけ、学業成就といった働きをする正義の味方だから、糞尿をまいて嫌がらせをする人物に対する呼び方としてはふさわしくない。怖い顔をしているから、誰かが言い出したのだろう。ただあの畑は、作物の収穫だけはよかったようだ。小学校は現在も同じ場所にあるが、言うまでもなくかつてのような騒ぎはないという。5日は端午の節句、子どもの日。同級生の何人かは「鍾馗様」のことを思い出すだろう。

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(映画冒頭で、3人が厠の前で雨宿りをする場面。映画公式HPより)