一年で一番さわやかな季節といっていい。周辺を散歩していると、庭からかぐわしいバラの香りが漂ってくる。北原白秋の短い詩『薔薇二曲』を頭に浮かべながら歩く。調整池の周囲にある野ばらの白い花が満開になっている。現在、百花の女王はバラといわれている。だれもがバラにまつわる思い出をもっているのかもしれない。
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バラの木に花が咲いただけで、特に不思議なことではない。とはいえ、この季節になると、美しい花が咲くのは自然界の不思議さを示している。いのちの輝きといえようか。
バラの花は特別不思議な花ではない。だが、満開の時期が終わると、花びらは木から零れ落ちる。それは光り輝くようだ。(筆者の意訳)
この美しいバラ。ペルシア(現在のイラン)では、この花をラクダの餌にしたという詩がある。西脇順三郎の詩集『近代の寓話』の中の「体裁のいい景色」の以下の一節。
洋服屋の様にテーブルの上に坐って
口笛を吹くと
ペルシャがダンダンと好きになる
なにしろバラの花が沢山あり過ぎるので
窮迫した人はバラの花を駱駝の朝飯にする
香りの豊かさから香水の原料となる「ダマスクローズ」というバラはペルシアが原産地といわれる。現在ではイランのほかトルコやブルガリアでもかなり栽培されているが、当初はペルシアからシリアのダマスカスに持ち込まれ、フランスの十字軍によってヨーロッパ各地へと拡大したそうだ。ペルシアはかなり昔からバラが栽培されていて、西脇の詩のように、ラクダの餌に困った人たちはバラの花を摘んで食べさせたのだろうか。バラの花は食べることが可能だという。その場合は無農薬のバラを選択する必要がある。バラは病気に弱いので農薬を使うことが多く、無暗に口にしない方がよさそうだ。ペルシアのバラはもちろん、無農薬のものだったに違いない。
(黒バラ)
バラの香りは
その甘い魅力できみをとらえ
あふれるばかりの美を
予感させる歌のメロディのように
そっと愛撫しながらきみを感動させる
きみはそれを判断することはできず
感じるのはただ
甘い忘却と甘い現在のみだ。
(ヘルマン・ヘッセ『花の香り』から)
歯に咬んで薔薇のはなびらうまからず 人間探求派の俳人加藤楸邨(1905~1993)の句だ。美しいというイメージよりも、五感のうちの味の感覚でバラの花をとらえようとした句なのだろう。バラに対する感覚。それぞれに個性があって面白い。
追記 白秋の詩は藤原道三が作曲してNHKの子供向け番組で流れ、現在も歌われ続けている。
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