小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をコラムとして書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。(Copyright (C) 2006-2024 Y.Ishii All Rights Reserved.)

小径を行く イメージ画像

「10年ひと昔」という。「世の中は移り変わりが激しく、10年もたつともう昔のこととなってしまう。また、歳月の流れを、10年をひと区切りとして考えること」(小学館『デジタル大辞泉』)という意味だ。確かに私自身、10年前のことを聞かれても思い出すのはなかなか
『2551 マチュピチュで見た蝶の話 10年前の旅の記憶』の画像

「広瀬川 流れる岸辺 想い出は帰らず」という歌い出しのさとう宗幸の『青葉城恋唄』(星間舩一作詞、さとう宗幸作曲)は、1978(昭和53)年に発売となり、大ヒット曲になった。仙台市の風景を描いた叙情的なこの歌は、私の好きな一曲だ。広瀬川はこの歌で一躍全国に
『2547「 想い出は帰らず」というが…… 仙台・広瀬川とともに』の画像

(プラハを流れるヴルタヴァ川)ドイツ生まれで日本に帰化した歌といっていい「ローレライ」が、ふらりと入った喫茶店で流れていた。ドイツの代表的な川であるライン川にまつわる伝説を基にした歌だ。ドイツ人にとってラインはドナウ(全長2860キロ)、エルベ(同109
『2546 それぞれの思い出の川「ローレライ」からの連想』の画像

 離島への旅をすることが好きな人は結構多いようだ。共同通信で大先輩だった向一陽さんの『離島を旅する』(講談社現代文庫)には、全国の離島の魅力が紹介されている。とはいえ、人口減少に伴う過疎化現象は離島にも大きな影響を与えているに違いない。かつて私が何度か訪
『2542 被災地の現実と未来 『悼みの海』の大島 』の画像

(ノルウェーの石積みのダムで堰き止められた人造湖クローデレン湖)世界の政治家を見ていると、相当に危ないと思われる人物がその国のトップに立ち、あるいはこれから立とうとする野心を持っている。現代はますます混迷の時代になっていると思わざるを得ない。こんな時ある
『2530 見習いたいデガナウィダらの精神 高邁な理想と行動力 』の画像

 (ラジオ体操広場の上空に美しい朝焼けが広がった) コロナ禍以降、人に会うことが少なくなった。私自身の加齢によって、その傾向はますます強くなっている。だから「人生邂逅し 開眼し 瞑目す」(人生は多くの巡り合いがあり、それを通じて物事の本質を知り終えていく
『2521 人生の邂逅を知る 聞き書きカルテットとの出会い』の画像

 人それぞれに好きな場所がある。自宅の居間や自分の部屋が一番という人もいるだろう。あなたはどこだろう。町の本屋、喫茶店、映画館、図書館、美術館、寺や神社、居酒屋、パチンコ屋、山や海? フランスの詩人シャルル・ボードレール(1821~1867)は「港」であり、日本
『2513 あなたの気に入った場所は? 詩人が描いた「港」と「郵便局」』の画像

 朝6時過ぎ。外へ出ると凍てつく寒さだった。隣の家のご主人が玄関から出てきて、そこに備え付けの気温計を見ながら、「いま氷点下2・3度ですよ。気を付けて」と声を掛けてくれた。それでもラジオ体操広場には、いつものように20人前後の人が集まっている。東の空は上
『2445 氷点下2・3度でも暖房使わず 水仙の季節がやってきた』の画像

「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」 与謝野晶子(『恋衣』より=夕日に照らされて輝く丘に、金色の小さな鳥が舞うように銀杏の葉が散っている)。この歌のように、黄金色に色づいたイチョウの葉があちこちで舞っているのを見かける。その風景を見ると、
『2428 銀杏は小さな手品師 晶子と山頭火の世界にも』の画像

 シンガソングライターの谷村新司が亡くなった。74歳。多くの人に口ずさまれた歌をつくり、歌った名歌手だった。私の手元に2冊の本がある。オペラ歌手の米良美一編『日本のうた、やすらぎの世界』(講談社+α文庫=日本で昔から歌い継がれている歌の歌詞300曲を収録
『2406 名曲と共に生きる 谷村新司逝く』の画像

 (富良野のラベンダー畑) 人の生き方は運命にかなり左右される。家庭の事情に幼い子どもはどうすることもできない。それでも、希望を持つことができれば幸いだ。藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』(光文社)は、不幸な家庭に生まれ育ち、一時はどん底に陥りながら、自
『2396 どん底でも希望があれば 藤岡陽子『リラの花咲くけものみち』を読む』の画像

 秋はさわやかで旅の季節だ。コロナ禍で遠出を控えていた人たちも、この秋こそはと旅の計画を立てているかもしれない。交通網が発達し、便利な時代。私はある和歌を思い出す度に昔の旅は大変だったろうと想像する。しかし、この和歌は実際には旅をせずに詠ったという説もあ
『2391 遠い京都からみちのくへ 秋風吹く白河の関の謎』の画像

(これが北海道だ。富良野から見た十勝岳) 私がこのブログを始めたのは2006年9月だった。今年で17年になった。これまでよく続いたと思う。私はこのブログで、好きなスポーツのことも書いている。それを読み返してみると、今年パリーグで昨年に続き最下位が確実な北
『2389 総合力に欠ける現代日本 日ハム優勝の歴史とともに 』の画像

(静かな駅風景。JR草津線甲賀駅ホーム) 私は多くの人が訪れる有名観光地には行こうと思わない。最近、よく聞かれる「観光公害=オーバーツーリズム」を及ぼす側の一人になるかもしれないし、そうした場面に遭遇するのが嫌だからだ。行政の無策がこんな結果を及ぼしている
『2386 危機遺産免れたベネチア 噴出する観光公害』の画像

 まだ外は暑い。だが、近くの調整池の森は少しだけだが緑色に茶が混じり始めている。晩夏なのだ。そんな時、これまで出会った風景を思い浮かべる。季節はさまざまだ。いずれもが悲しみ・哀しみを伴う。「エレジー」(悲歌、哀歌)を連想する風景だ。8月の終わり。その風景
『2375 私のエレジー 写真で見る悲しみ・哀しみ』の画像

↑このページのトップヘ